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朝から、国際シンポジウム
「ドイツと日本の市民社会における環境対話」
ってのに行ってきた。

とりあえず、場違いだ私。

そして、心地よいイスと、
(パワーポイントのため)適度な暗さによって、
(例の如く)眠りの世界へ……

努力したけど、ところどころ意識が飛んだ。


「日本における環境運動の現状と課題」
「ドイツにおける環境運動」

「自然保護から持続性のある開発へ-ドイツにおける市民の社会参加の過去と現在」
「地域から持続可能な社会を展望する~ドイツと日本の環境首都コンテストから~」

というテーマでそれぞれ講演があった。


日本でも環境首都コンテストが行われてるとは知らなかった!


お昼挟んで後半が基調講演+パネルディスカッションだったけど、
前半だけで帰ってきてしまった。
せめて基調講演だけでも聴いてくれば良かったかなぁ。
すでに限界だった…orz!



そしてしばし休養してから、
夜は、損保ジャパン市民のための環境公開講座
パート4「環境問題の根源を学ぶ」3.『キリスト教と環境』に行った。

清里ミーティングに参加してJEEF会員になったので無料
他にも清里ミーティング参加者の人が何人か来ていたみたい。

前から参加したいと思ってたけど
大学の授業があって行けてなかった。本日初受講。


1.キリスト教への嫌疑、環境問題の元凶?
2.キリスト教から見た環境問題
3.教会建築と自然のシンボリズム
4.信仰生活と「自然との共生」
5.祈りにおける神・人・自然
6.聖書と環境思想

といった内容だった。

リン・ホワイトさんの
機械と神―生態学的危機の歴史的根源という本の
一部を追って読んだけど、正直難しくてよくわからなかった…


旧約聖書の創世記の一番始め、天地創造も読んだ。
神がいろいろとお造りになって、
神はこれを見て、良しとされた
っていうのが何度も出てくる。

そして、最後に
神はお造りになったすべてものをご覧になった。
見よ、それは極めて良かった。


人を作って、良しとされたんじゃなくて、すべてをよしとされた。
人間がいなくなれば、地球環境問題は解決するという意見もあるけど、
キリスト教はそれを認めないと。(ニュアンス違うかも…)


キリスト教とは縁があって教会も通ったし、
幼稚園も中高もキリスト教だったけど、
やっぱり宗教って難しい。

ほんの1時間そこらで話せる話ではないと思った。

そもそも聖書はツッコミどころ満載過ぎる。
中高の聖書の時間は毎回それで遊んでました。。(←罰当たり)

でもそれでも、宗教はいくらでもいろいろな解釈ができるわけであって…

すごく人間中心的なキリスト教的観点からも
「環境」のことを考えられるならそれに越したことはないと思う。
(えらそうでごめんなさい)


参考資料
Message of Pope JOhn Paul Ⅱ for the World Day of Peace, January 1, 1990
1990年世界平和の日(1月1日)教皇メッセージ

わたしは1979年にアシジの聖フランシスコを
環境保護の活動をする人々の守護聖人として宣言しました。
…聖フランシスコは、被造界の完全な姿を、
真実にそして深く畏敬するという点でキリスト者の模範です。
神のおつくりになったもの皆に愛された貧しき人々の友聖フランシスコは、
被贓物すべてを--動物も、植物も、自然の諸力も、
そして強大なる太陽と姉妹成る月をも、
主なる神に栄光と賛美を捧げるように招いています。




あんまり関係ないけど、私のわりと好きなお祈り。

アッシジの聖フランシスの祈り

主よ、
私たちのあなたの平和の器にしてください。

憎しみのあるところに愛を、争いのあるところに赦しを、
分裂のあるところに一致を、疑いのあるところに信頼を、
誤りのあるところに真理を、絶望のあるところに希望を、
悲しみのあるところに光をもたらすようにさせてください。

主よ、
慰められるよりも、慰めることを、
理解されるよりも、理解することを、
愛されるよりも、愛することを求めさせてください。

なぜなら私たちは、
与えるときに受け、赦すときに赦され、
死ぬときに永遠の命を生きることを知っているからです。


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